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【2025/05/04 17:41 】 |
平澤光秀
来歴 [編集]

全国少年レスリング連盟育成委員長を務める平澤光志を父親に持ちその父親が営むクラブで3歳からレスリングを始めたとされる。 高校は霞ヶ浦高等学校、大学は専修大学とレスリングの名門校を渡り歩いており、専修大学時代には馳浩の指導も受けている。 高校、大学を通じて国体、全日本学生選手権で活躍した。
その後、国語教員免許を取得し大学卒業後は医療機器販売メーカー“竹山”に就職。営業職をしながらレスリングを続け、2004年の国体ではフリースタイル96kg級で3位という成績を残した。
会社を辞め、2005年3月に新日本プロレスに入団。また、練習生時代に全日本社会人選手権に出場しフリースタイル120kg級で優勝。2006年1月28日、後楽園ホールの飯塚高史戦でデビュー。4月26日、裕次郎戦で初勝利を果たした。その後、ZERO1-MAX(現:ZERO1)との対抗戦や、永田裕志とのタッグ“青義軍”でG1 TAG LEAGUEにエントリーするなどと様々な経験を積んでいる。
2009年1月4日、レッスルキングダムIII IN 東京ドームの第0試合に出場。
7月19日に昨年3月2日に入籍を済ませている歯科助手の女性と札幌市内のホテルで結婚披露宴を行った。
8月9日にはTAJIRIと初対戦。バズソーキックでピンフォールを奪われ、試合後にはグリーンミストを喰らうという屈辱を味わった。9月に 永田裕志、井上亘、スーパー・ストロング・マシンと共に青義軍を結成した。
2010年9月、プエルトリコへ無期限の武者修行の旅へ。現地でのリングネームは「ヒデオ・サイトー」。
得意技 [編集]

ヒラボトム
ロック・ボトムと同型。
逆エビ固め
サイド・スープレックス
ジャーマン・スープレックス・ホールド
平澤の場合、そのままブリッジで固めずに自分の体を捻って覆いかぶさるような形でフォールに向かう。
ナガタロックII
グラウンド式腕極め顔面締め。
永田裕志とのタッグでは平澤が同技、永田がアンクルロックを極める連携技が見られる。
ダイビング・ヘッドバット
入場テーマ曲 [編集]

Spread.Wing-beat
Root and Roots / TSUTOMU TOYA (AN INFINITE STRING に収録)
その他 [編集]

高校総体グレコローマン76kg級で準優勝、全日本大学グレコローマン選手権76kg級3位という成績を残す平澤昌大を双子の弟を持つ。
新日本に入団する前、大学時代より交流のある高橋裕二郎から「会社に辞表をだすのは入門テスト合格してからでいいんじゃない?もし不合格だったら生活できなくなるよ」と言われるも「絶対に合格します!今の会社に未練はありません!」と宣言し見事合格した。
邪道からは「にょろにょろ」の異名で呼ばれるなど周囲からも愛されている。
入門1日目にレッドシューズ海野に飲まされ泥酔し、中邑真輔を「真ちゃん」と馴れ馴れしく呼び、安沢明也を殴り目から流血させた。
寮で同部屋の高橋裕二郎を睡眠不足に陥れるほどの大音量のいびきをかくらしい。
特技はロボットダンス。
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【2010/12/28 19:12 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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