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タタンカ(Tatanka)のリングネームで知られるクリス・チェイヴィス("War Eagle" Christopher Chavis、1965年6月8日 - )は、ラムビー族インディアンのプロレスラー。アメリカ合衆国ノースカロライナ州ペンブルック出身。
目次 [非表示] 1 来歴 2 得意技 3 獲得タイトル 4 脚注 5 外部リンク 来歴 [編集] フィットネス・クラブのインストラクターを経て、バディ・ロジャースの紹介でプロレスラー養成所 "モンスター・ファクトリー" に入門し、1990年に地元ノースカロライナのインディー団体NAWA(SAPW)でデビュー。当時のリングネームは"ウォー・イーグル" クリス・チェイヴィス。同年公開の映画『ダンス・ウィズ・ウルブズ』の大ヒットも追い風に、ワフー・マクダニエル以来久々に登場したインディアン・レスラーの大型ルーキーとして注目され[1]、1991年末にWWFと契約。 WWFでは1992年、ラコタ語でバッファローを意味するタタンカに改名し、ベビーフェイスの新鋭として売り出された。同年4月5日のレッスルマニア8ではリック・マーテルにフォール勝ちし、以降もマーテルとの抗争を展開("ザ・モデル" をギミックとするマーテルは、平原インディアンの誇りである羽飾り[2]をタタンカから奪い、それを自分のファッションの一部にして彼の怒りを煽った)。 翌1993年4月4日のレッスルマニア9ではショーン・マイケルズのインターコンチネンタル王座に挑戦し、リングアウト勝ちを収めている(タイトルは移動せず)。同年6月13日にはキング・オブ・ザ・リングの決勝トーナメントにも出場(1回戦でレックス・ルガーと引き分け)。その後はモンスター・ファクトリーの先輩でもあるバンバン・ビガロやIRSなどと抗争した。 WWFでは1970年代に活躍したインディアン・レスラーの先達チーフ・ジェイ・ストロンボーの弟子という設定のもと、勇猛果敢なファイトスタイルで支持を獲得。彼が試合中に劣勢になると、観客は一斉にインディアンの祈りの歌を合唱し、攻撃に転じると雄叫びをあげて応援した。提携団体であるテネシー州メンフィスのUSWAにも遠征し、1993年9月13日にはジェリー・ローラーからUSWAユニファイド世界ヘビー級王座を奪取[3]。同年はヨコズナのWWF世界ヘビー級王座にも挑戦している。日本には1994年5月の『WWFマニア・ツアー』で初来日を果たした。 1994年8月29日、サマースラムで行われたレックス・ルガー戦で、テッド・デビアスに買収されたというアングルのもとヒールに転向。以降、デビアス率いるミリオンダラー・コーポレーションの一員となり、コスチュームのイメージカラーを黒に変更するなどヒールらしさを演出したが、もともとベビーフェイス色の強いキャラクターだったため観客の反応は鈍く、ヒールターンは失敗に終わる。その後はニューカマーのジョバー的な役回りが多くなり、家族と過ごす時間がほしいという本人の希望もあって1996年1月21日のロイヤルランブルを最後にWWFを離脱。 Tatanka with Falcon Coperis in 1997 以降はWCW入りも噂されたがオファーには応じず、インディー団体にベビーフェイスのスペシャルゲストとして単発的に出場。1998年10月にはフロリダ州タンパで行われたトーナメント決勝でシッド・ビシャスを破り、復活したスタンピード北米ヘビー級王座の初代チャンピオンとなった(同王座はカルガリーのスタンピード・レスリングが1989年に活動を停止して以来、封印されていた)[4]。また、2000年にはカート・ヘニングやロード・ウォリアーズと共にオーストラリアにも遠征している。 2005年8月1日、保留地(Reservation)のあるコネチカット州モヒガンサンで行われた『Raw』で9年半ぶりにWWEに登場。ユージンとの3分間のシングルマッチを行い、乱入してきたカート・アングルをユージンと協力して蹴散らすなど、大歓声で迎えられた。同年の末よりWWEとフルタイム出場の契約を交わし、翌2006年1月29日のロイヤルランブルに出場。以降『スマックダウン』の所属となる。2月19日のノー・ウェイ・アウトではマット・ハーディーのパートナーとなり、MNM(ジョニー・ナイトロ&ジョーイ・マーキュリー)から勝利を収めた。 その後もベテランのベビーフェイスとしてシルヴァン・グラニエらとのミニ抗争を行うが、連敗が続きレフェリーに不審を抱くキャラクターになるなど、ブックに恵まれないまま2007年1月にWWEを解雇された。以後、2008年はイギリスのオールスター・レスリングに出場。2009年12月17日にはTNAに登場し、ジェイ・リーサルを破っている[5]。 2010年11月15日、"Old School edition" と銘打って行われたスペシャル版の『Raw』に出演[6]、ジム・ドゥガンやロン・シモンズらと共にバックステージのスキットに参加し、ダスティ・ローデスの入場テーマ曲 "Common Man Boogie" に合わせ、インディアン式のステップでダンスを踊った[7]。 得意技 [編集] トマホーク・チョップ(インディアン・レスラーの代名詞である手刀攻撃) ウォー・ダンス(ハルク・ホーガンのハルクアップに通じるムーブ。劣勢に陥った際、リング内でインディアンの「戦いの踊り」を舞って自らを鼓舞し、反撃に転じる) エンド・オブ・ザ・トレイル[8](バックフリップ。相手をファイヤーマンズ・キャリーで抱え上げ、そのまま後方に叩きつける。主にフィニッシュ技として使用。インディアン・デス・ドロップとも呼ばれる) ドロップキック フライング・クロス・ボディ 獲得タイトル [編集] NAWAヘビー級王座:1回 SAPWヘビー級王座:1回 USWAユニファイド世界ヘビー級王座:1回 [3] スタンピード北米ヘビー級王座(1998年復活版):1回 [4] オーストラジアン・ヘビー級王座:2回 etc. 脚注 [編集] ^ 『THE WRESTLER BEST 1000』P225(1996年、日本スポーツ出版社) ^ クリスの出身部族のラムビー族には、実際には平原部族の被るような羽根冠の文化はない。事実、WWFデビュー当初は羽根冠をコスチュームに使用しておらず、インディアン・レスラーとしての一般的なビジュアル・イメージを醸成するために後になって羽根冠を被るようになった。 ^ a b “USWA Unified World Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月7日閲覧。 ^ a b “Stampede North American Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月7日閲覧。 ^ “Caldwell's TNA iMPACT Report 12/17”. PW Torch. 2009年12月17日閲覧。 ^ “WWE Legend roll-call on an "old school" edition of Raw”. WWE.com. 2010年11月16日閲覧。 ^ “The Million Dollar Championship returns to its rightful owner”. WWE.com. 2010年11月16日閲覧。 ^ "End of the Trail" とは、チェロキーの"Trail of Tears" をイメージして1915年に製作された彫刻の PR |
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