× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
![]() |
ロバート・ダウニー・Jr(Robert Downey,Jr.、本名:ロバート・ジョン・ダウニー・Jr、Robert John Downey, Jr.、1965年4月4日 - )は、アメリカ合衆国の俳優・声優・ミュージシャン。身長5フィート8インチ(約172cm)
目次 [非表示] 1 来歴 1.1 生い立ち 1.2 キャリア 1.3 薬物問題 1.4 カムバック以降 2 私生活 3 エピソード 4 主な出演作品 4.1 映画 4.2 テレビ 5 脚注 6 外部リンク 来歴 [編集] 生い立ち [編集] ニューヨーク州ニューヨーク出身。父親はアイルランド及びユダヤ系の映画監督ロバート・ダウニー・Sr.、母親はドイツ及びスコットランド系の女優エルシー・フォード。5歳から父親の作品に子役として出演。10歳の時に、移住していたイングランドでクラシック・バレエを習う。[1]その後グリニッジ・ヴィレッジに移り住むが両親が離婚。13歳で父親とカリフォルニアに移住した。幼少時に好きな俳優はピーター・オトゥールであった。 キャリア [編集] 5歳の時に、父親であるロバート・ダウニー・Sr.監督の『Pound』(1970)で子役として映画初出演。同監督作品に子役として数本出演した後、17歳でサンタモニカ高校を中退し俳優の道へ進む。『ベイビー・イッツ・ユー』(1983)で本格的に映画デビュー。1985~1986年には『サタデー・ナイト・ライブ』出演。初主演映画となった『ピックアップ・アーチスト』(1987) 、ドラッグ中毒の若者役を熱演した『レス・ザン・ゼロ』(1987) などで注目を集める。 1992年公開の『チャーリー』で喜劇王チャーリー・チャップリンを好演し、英国アカデミー賞 主演男優賞を受賞。またアカデミー主演男優賞の候補となった。2000年にテレビシリーズ『アリーmyラブ』(4th Season)でゴールデングローブ賞助演男優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)を受賞。2009年公開の『シャーロック・ホームズ』のシャーロック・ホームズ役で、ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門)を受賞した。 幼少時に独習したというピアノの腕前や歌唱力(弾き語り)にも定評があり、作詞作曲も自らこなす。シンガーソングライターとしては、2004年にスタジオアルバム『ザ・フューチャリスト』を発表。音楽面で影響を受けたとしてスティーリー・ダン、ハリー・ニルソン、U2、ザ・ポリスなどの名を挙げている。 2010年より、米プランターズ社のシンボルキャラクターであるミスター・ピーナッツ(Mr.Peanut)の吹き替えを担当。CMでは歌声も披露している。 薬物問題 [編集] 父親に与えられたマリファナを8歳当時で既に常用していたなど、子供の頃からドラッグの問題を抱えていた。[2]薬物問題で6回逮捕されており、拘置所から撮影所に通ったなどの逸話を持つ。1996年4月に麻薬不法所持により初めて逮捕され、1999年8月からカリフォルニア州立刑務所へ1年間入所する。仮出所後にゲスト出演した『アリーmyラブ』第4シーズン(2000-2001)のラリー役では、ゴールデングローブ賞を受賞、またエミー賞にノミネートされるなど高い評価を得たものの、番組全米放送中の2001年4月にコカイン所持で再逮捕。3年間の保護観察処分となる。同時に1年間のリハビリ施設収容を命じられ、番組を途中降板した。再逮捕のニュースに、アリー役のキャリスタ・フロックハートはショックを受け倒れたという。[3]なおダウニー本人は後年、『アリーmyラブ』出演当時の自分は最低な状況にあったと述懐し、賞賛は過大評価であるとしている。[4]1996年から2001年にかけ薬物依存の克服に苦しんだが、2002年にクリーンと認められ保護観察処分を終えた。2003年に、旧友メル・ギブソンの助力を得て俳優復帰する。 カムバック以降 [編集] 演技者としての評価は逮捕後も揺るがず、オファーが途絶えたことはない。癖のある助演でメインストリームに復帰し、個性派の地位を不動のものとする。2008年公開の『アイアンマン』で、「彼の波瀾万丈のキャリアがキャラクターに深みを与える」としてジョン・ファヴローから、トニー・スターク/アイアンマン役に抜擢される。見事な役作りを披露し、キャスティングに物議を醸していた原作ファンや批評家から絶賛された。同作は米興収3億ドルを叩き出す大ヒットとなり、キャリアを代表する当たり役となる。また同年公開の『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』では、「役作りのために整形手術で黒人になってしまうオーストラリア人のメソッド俳優」、という複雑な役どころで完璧な黒人訛りを器用に使い分け、芸達者ぶりを改めて印象付けた。本作の演技はアカデミー助演男優賞やゴールデングローブ賞 助演男優賞を始め、各映画賞にノミネートされ高い評価を集める。この二作品のヒットにより完全復活となった。 同年に米タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に[5]、エンターテイメント・ウィークリー誌のエンターテイナー・オブ・ザ・イヤーに選出される。[6] 2009年12月にグローマンズ・チャイニーズ・シアター前に手形と足形を刻んだ。[7] 2010年6月に、配偶者のスーザン・ダウニーと独立プロダクション「チーム・ダウニー」を設立。スティーヴ・マックイーンの遺稿を映画化するプロジェクトなどにおいて、ダウニー自身がプロデュースを手掛ける見込みであるという。また監督デビューのため、良い脚本を吟味している模様である。[8][9]俳優としてのキャリアも絶好調で、現在ハリウッドで最も引く手あまたな役者の一人である。 私生活 [編集] 1980年代にサラ・ジェシカ・パーカーとニューヨークで7年間同棲していた。破局の原因は、自らの薬物及びアルコール依存にあるとダウニー自身は語っている。また1980年代後期にマリサ・トメイとつきあっていた時期がある。 1992年5月にモデルのデボラ・ファルコナーと結婚、1993年9月に長男インディオ・ファルコナーが誕生する。しかし1996年に別居を始め、2004年4月26日に正式に離婚した。 2003年に映画プロデューサーのスーザン・レヴィンと婚約、2005年8月27日に結婚。 『1969』(1988)で共演したキーファー・サザーランドとはルームメイトだった。近年サザーランドが『ジミー・キンメル・ライブ!』において、「1980年代にロサンゼルスで3年間同居していた」と明かしている。[10] 2010年4月時点の愛車は、メルセデス・ベンツS400ハイブリッドとのことである。[11] 薬物依存のリハビリ・プログラムの一環として始めた詠春拳やヨーガなどのレッスンを、克服した現在も続けている。また『シャーロック・ホームズ』の役作りとしてトレイシー・アンダーソン・メソッドを、[12]『アイアンマン』の役作りとして、グレース・ソマトモーフィック・テクニック(GST)のレッスンをそれぞれ受けている。[13] エピソード [編集] 自身もメソッド巧者だが、オスカーにノミネートされた『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』ではメソッド俳優をパロディにしている。この点についてどういうことかと尋ねた町山智浩に対し、「ハリウッドのバカ映画やヒーロー役が楽しくて、メソッドや演技派(と呼ばれること)にはもう飽きた」と語っている。 2008年に『アイアンマン』のプロモーションで15年ぶりに来日した際、前歴から日本の入国管理局により6時間の足止めを食っている。また日本のレストランで牛肉にあたり、食中毒を起こしている。滞在3日間で2キロ以上痩せるなど体調を大幅に崩し、大半の仕事をキャンセルすることとなった。この体験は「よい減量のきっかけになった」と後に語っているものの[14]、ジャパンプレミアでの鏡抜きにも戸惑ったらしく、来日にはあまり好印象を抱けなかったものと思われる。2009年のオスカー候補者座談会で、この来日時のエピソードを披露した際には、「もう日本に来てはいけないのではないかと思った」とジョークにしている。[15]その後、全世界で日本が最も遅い公開となった『シャーロック・ホームズ』、『アイアンマン2』とも、タイトル・ロールながら来日は実現していない。 あずまゆかの友人は、逮捕前のダウニー本人からドラッグの買出しを頼まれたそうである。[16] 『キスキス,バンバン』(2004)で、長男インディオ・ファルコナーが少年時代のダウニー役でカメオ出演している。 自らの逮捕歴や、過去の薬物問題を頻繁にジョークのネタにしており、『シャーロック・ホームズ』のインタビューでは、「7%の溶解液(原作でホームズが常用しているコカイン)は僕に言わせると薄すぎる」と語っている。[17] PR |
![]() |
![]() |
|
![]() |
トラックバックURL
|
![]() |