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大刀光 電右エ門(たちひかり でんえもん、1963年9月12日 - )は、千葉県千葉市出身で友綱部屋所属の元大相撲力士、現在はプロレスラーで、リングネームは大刀光(たちひかり)。本名は河原修(かわはら おさむ)。大相撲時代は身長195cm、体重148kg、プロレスラー時代は身長195cm、体重135kg。得意手は右四つ、上手投げ、波離間投げ。最高位は西前頭15枚目(1993年7月場所)。
目次 [非表示] 1 来歴 2 エピソード 3 主な成績 3.1 大相撲 3.2 総合格闘技 4 四股名改名歴 5 関連項目 6 外部リンク 来歴 [編集] 東京・安田学園高校では寺尾の1年後輩で相撲を取っていたが、寺尾が2年生の時に中退したこともあり自身も1年で中退した。食肉会社で働いていたときに大相撲を勧められて、1982年1月場所で初土俵を踏む。師匠から期待されて、大正時代に友綱部屋から初土俵を踏んだ大関力士である「太刀光」の四股名を与えられた(のちに大刀光と改名)。1988年7月場所で新十両に昇進し、十両で一進一退を続けたのち、1992年7月場所新入幕。長身を生かしての右からの上手投げに威力があり、大刀光スペシャルと称された。またいかつい容貌に長い揉み上げが特徴だった。しかし、立合いに厳しさがなく、また肩越しに上手をとって相手を振り回したり、土俵際のはりま投げなど逆襲に頼る相撲は幕内では通用せず、幕内在位は1場所で終わった。1994年1月場所限りで廃業した。 その後、WARにて、顔にペイントを施し『大和』と名乗り、相撲軍団のメンバーとして活動した後、正式にプロレス入りし、WARのみならず、大日本プロレス、SPWFプロレスなどのリングで闘った。さらに、恵まれた巨体に加えて大相撲出身特有の足腰の強さと突進力を武器に2000年のPRIDEグランプリ参戦を皮切りに、DEEPなど総合格闘技にもチャレンジしている。また一時期千葉市内でスナックを経営していた。 2008年3月場所より実子の河原正実が阿武松部屋から本名で相撲をとっている。 エピソード [編集] 高校の1年先輩に寺尾がいる。高校時代によく稽古を付けてもらったが、新入幕の場所に寺尾と対戦し勝利を収め、「恩返し」を果たした。 新十両の時、「目標とする力士は?」との質問に「陣岳関」と回答した。二人は体格は似ているものの相撲ぶりはあまり似ていなくて、回答の真意は謎である。このことがやくみつるの漫画のネタとなった。 同じ角界出身の高木功(嵐)とは『チームコンボイ』の名でタッグを組んで試合をする機会が多かった。殆どの試合ではそれぞれ『嵐』『大刀光修』名義で試合をしたが、デスマッチをメインに行う団体(大日本プロレスなど)では本名の『高木功』『河原修』名義で試合を行った。 主な成績 [編集] 大相撲 [編集] 幕内成績:7勝8敗(1場所) 十両成績:134勝151敗(19場所) 生涯成績:340勝316敗7休1分(73場所) 各段優勝:序ノ口1回(1982年3月場所) 総合格闘技 [編集] 総合格闘技 戦績 4 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合 0 勝 0 0 0 0 0 0 4 敗 3 1 0 0 勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日 × エル・カネック 1R 4:55 TKO(パウンド) DEEP2001 3rd IMPACT X'mas in DIFFER ARIAKE 2001年12月23日 × 謙吾 1R 0:22 KO(パンチ連打) DEEP2001 2001年1月8日 × ユルコ・ドミトロ 1R 2:50 TKO 掣圏道 SWAアルティメットボクシング 2000年10月29日 × ゲーリー・グッドリッジ 1R 0:51 前腕チョーク PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦【1回戦】 2000年1月30日 四股名改名歴 [編集] 河原 修(かわはら おさむ、1982年1月場所 - 1984年11月場所) 太刀光 電右エ門(たちひかり でんえもん、1985年1月場所 - 1992年7月場所) 大刀光 電右エ門(読み同じ、1992年9月場所 - 1994年1月場所) PR |
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