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【2025/05/05 23:11 】 |
テリー・ゴディ
テリー・ゴディ[1](Terry "Bam Bam" Gordy、1961年4月23日 - 2001年7月16日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。テネシー州チャタヌーガ出身。本名はテリー・レイ・ゴディ(Terry Ray Gordy)。日本では「人間魚雷」の異名を持つ。
甥のリチャード・スリンガー、息子のレイ・ゴディもプロレスラーである。パワーボムの元祖であり、この技を日本に定着させた。
目次 [非表示]
1 来歴
2 得意技
3 獲得タイトル
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
来歴 [編集]

生まれついての巨漢で、ほとんど訓練もしないまま年齢をごまかし14歳でプロレス入りしたとされ、1977年にテリー・メッカ(Terry Mecca)のリングネームでデビュー。1年後、地元テネシーで出会った2歳年上のマイケル・ヘイズ(現・WWEエージェント)と出会って意気投合し、翌1979年にテリー・ゴディと改名、タッグチーム「ファビュラス・フリーバーズ」を結成する。この名前は彼らが好きだったサザン・ロックのバンド、レーナード・スキナードのヒット曲『FREE BIRD』から取ったもので、入場曲も同曲である。なお、これがアメリカマット界で本格的に入場曲が使われるようになったきっかけといわれる。
以降、ヒールのタッグチームとしてテキサス州ダラスを中心に全米で活躍。1982年からはバディ・ロバーツを加えて3人組となり、ダラスの英雄フォン・エリック兄弟(ケビン、デビッド、ケリー)との抗争は凄まじい人気を得た。ヘイズとは1981年にジョージア地区のGCWで一時的に仲間割れし、ゴディはジミー・スヌーカを、ヘイズはテッド・デビアスを新パートナーに抗争を展開したこともある。
1983年8月に全日本プロレスに初来日。日本でのテリー・ファンク引退試合でのザ・ファンクスの対戦相手として、スタン・ハンセンのパートナーに起用された(テリー・ファンクは後に現役復帰)。翌年にはフリーバーズでの来日も実現したが、ゴディのみ全日本の常連となる。デビュー間もない頃に教えを受けたルー・テーズ直伝のパワーボムをフィニッシュ・ホールドとして頭角を現す。テリー・ゴディのパワーボムは技を決めた後に、そのままフォールの体勢に持ち込むのが特徴で、それ以降多くの日本のレスラー達が使うようになった。1988年にはスタン・ハンセンとのタッグで世界タッグ王座を獲得。また同年の世界最強タッグ決定リーグ戦を制覇した。1990年3月「殺人医師」ことスティーブ・ウィリアムスとタッグチーム「殺人魚雷」を組み、世界最強タッグ決定リーグ戦を1990年、1991年と二連覇する等活躍した。シングルでも1990年6月5日にジャンボ鶴田から三冠ヘビー級王座を奪取している。意外にも外国人で三冠王者になった第一号は、ハンセンではなくゴディである。この時29歳だったが、20代の三冠王者はゴディと小橋建太の二人だけである。既に世界タッグ王者でもあったため、史上初の五冠王だった。また、全日本のリングに上がる前年の1982年3月1日にジャイアント馬場のPWFヘビー級王座にジョージア州アトランタで挑戦しており、日本にもその試合が中継されている。
1984年8月にはフリーバーズとしてWWF(現・WWE)にも加入。シンディ・ローパーとのコラボレーションも実現したが、メンバー個々をシングルプレイヤーとして売り出そうとしたWWFに反発して2週間で離脱。その後、フリーバーズはダラスのWCCWを主戦場にAWAやUWF(ビル・ワット主宰)などにも参戦するが、1988年に一旦解散した。
1992年にスティーブ・ウィリアムスと共にWCW入りし、スコット・スタイナー、リック・スタイナーのスタイナー兄弟と抗争する。WCWは当時新日本プロレスと提携し、スタイナー兄弟は新日にも登場したがゴディ、ウィリアムズは全日本との契約は終了していたものの、全日本との関係を重視して登場しなかった。なお、ウィリアムスはゴディとのタッグの経験から試合展開の技術についていろいろと学ぶところがあったという。
1993年8月、全日本のシリーズを欠場。内臓疾患ということになっていたが、実際は一度、全日本参戦中に心停止したことがあり、病院に担ぎ込まれたというのが真相である(以下のエピソード含め、和田京平の著書『人生は3つ数えてちょうどいい』より。医者からは「ご家族を呼んでください」と言われたものの、突然起き上がって「帰る」などと言い出し、周囲の人間が仰天したというエピソードがある)。1年後の1994年7月、サマーアクションシリーズ中盤より全日本マットに復帰したものの全盛期の動きには程遠く、これが最後の全日本への来日となった。
その後1995年、IWA・JAPANに参戦。画鋲デスマッチ等を行った。1996年には覆面レスラーのジ・エクスキューショナー(The Executioner)としてWWFに登場。マンカインドと怪奇派のタッグチームを結成し、短期間ながらジ・アンダーテイカーと抗争した。1998年にはWARに登場。かつての三冠戦カードである天龍源一郎とのシングル戦が実現した。
ゴディは非常に強い痛み止めの薬を飲んでいたが、元来の酒豪であり(主にジャックダニエルを愛飲)、それとチャンポンしていたという。現在で言うステロイド剤の副作用もあり、精神的にも異常な行動が見えたことからそれが原因で全日本には呼ばれなくなったというのが真相である。IWA・JAPANに参戦時には、控え室で尿を垂れ流していたなどの行動も見られたという。持病の心臓病が悪化し、2001年7月16日にテネシー州チャタヌガの自宅で心不全で急死。40歳没。
最後の来日は同年2月4日のIWA横浜文化体育館大会。死の直前に、プロレスリング・ノアを発足させた三沢光晴と旧交を温める様子がプロレスマスコミに流れたが、本人がノアに上がることはなく、一時息子のレイ・ゴディがノアに参戦するにとどまった。ジャンボ鶴田が苦手意識を持った数少ないトップレスラーで、1990年代前半にはプロレス四天王の大きな壁として立ちふさがった名レスラーであったことから、体調管理の甘さが悔やまれる。
得意技 [編集]

大型レスラーだが抜群のセンスと動きのよさも兼ね備えており、技の引き出しが多い。投げ技が比較的少ないのが特徴。
パワーボム
ルー・テーズ直伝、ゴディの代名詞的必殺技。投げっ放しではなく、叩き付けてホールドしたままエビ固めで体重を乗せてピンフォールした。
魚雷ラリアット
いわゆる「串刺しラリアット」で、この技の創始者。逃げ場のないコーナーの相手に向かって、全体重を浴びせかけるようにラリアットをブチ込み、仰け反って反動で前のめりになった相手を掴んでマットにねじ伏せ、フォールに行くという一連の動きがスピードとパワーに満ちあふれていた。相手をコーナーにホイップしたらすかさず追いかけるように突進し、ラリアットをかわされないようにするのが特徴。対角線のコーナーを利用して、ラリアットを打ち込んだ相手をすぐさま対角線に振って魚雷ラリアットを続け、何往復かする連発式も使用した。(後にスーパー・ストロング・マシンも同様のラリアットを「追っかけラリアット」として使用している)。
この他、通常のラリアットも得意としており、ジャイアント馬場からフォールを奪っている(通常のラリアットも「魚雷ラリアット」と呼ぶこともある)。
DDT
この技でジャンボ鶴田から三冠王座を奪取したこともある秘密兵器。
サソリ固め
ドロップキック
巨体ながらもハンセン、ブロディ同様に隠れた名手。
片足を掴んでの浴びせ倒し
相手の片足を抱え込んで、そのまま体重を浴びせながら押し倒し、フォールする強引な荒技。これで川田利明から勝利を奪った試合では、若林健治アナウンサーは「こんなの技じゃない!」と驚きながら実況していた。
STF
晩年に得意とし、フィニッシュ・ホールドにも使用していた。これもルー・テーズ直伝。
フィッシャーマンズ・スープレックス
柔軟性もあり好んでこの技を使用した。
獲得タイトル [編集]

全日本プロレス
三冠ヘビー級王座:2回
世界タッグ王座:7回(w / スタン・ハンセン×2、スティーブ・ウィリアムス×5)
ミッドアメリカ(テネシー)
NWAミッドアメリカ・タッグ王座:2回(w / マイケル・ヘイズ)
MSWA / UWF
ミッドサウス・タッグ王座:2回(w / マイケル・ヘイズ×1、バディ・ロバーツ×1)
ミッドサウス・ルイジアナ・ヘビー級王座:1回
ミッドサウス・ミシシッピ・ヘビー級王座:1回
UWF世界ヘビー級王座:1回
GCW(ジョージア)
NWAジョージア・タッグ王座:1回(w / マイケル・ヘイズ)
NWAナショナル・タッグ王座:4回(w / マイケル・ヘイズ×3、ジミー・スヌーカ×1)
SECW(アラバマ)
NWAアラバマ・ヘビー級王座:1回
NWAサウスイースタン・ヘビー級王座:1回
WCCW / WCWA(ダラス)
NWAアメリカン・ヘビー級王座:1回
NWAアメリカン・タッグ王座:1回(w / マイケル・ヘイズ)
NWAブラスナックル王座(テキサス版):1回
NWA世界6人タッグ王座(テキサス版):5回(w / マイケル・ヘイズ&バディ・ロバーツ)
WCWA世界6人タッグ王座:1回(w / バディ・ロバーツ&アイスマン・パーソンズ)
WCW
NWA世界タッグ王座:1回(w / スティーブ・ウィリアムス)
WCW世界タッグ王座:1回(w / スティーブ・ウィリアムス)
その他
GWFタッグ王座:1回(w / ジミー・ガービン)
SMWヘビー級王座:1回
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【2011/01/06 20:05 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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