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ダグ・ファーナス(Douglas Furnas、1961年12月11日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。オクラホマ州コマース出身。
目次 [非表示] 1 来歴 2 得意技 3 獲得タイトル 4 脚注 来歴 [編集] テネシー大学時代アメフトで鳴らし、卒業後はデンバー・ブロンコスに入団したが、トレーニングキャンプで負傷し活躍することはなかった[1]。その後。パワーリフティングの選手として世界記録を19度更新した後、1986年にプロレスラーとしてデビュー。 全日本プロレスではダニー・クロファットとのタッグチーム、「カンナム・エクスプレス」で活躍し、アジアタッグ選手権を5回獲得。なお、全日本プロレス参戦当時は、クロファット共々海外ではシングルプレイヤーとして活動していて、カンナム・エクスプレスは日本限定のタッグチームだった。 1990年代後半に全日本プロレスを離れてからはダニー・クロファットとのコンビでWWF(現WWE)で1997年まで活動した。1997年に共にWWFを解雇された後はECWへ移籍、ECWタッグ王座を獲得している。 得意技 [編集] フランケンシュタイナー ドロップキック カナディアンバックブリーカー ジャーマン・スープレックス 獲得タイトル [編集] アジアタッグ王座 ECW世界タッグチーム王座 |
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ダイヤモンド・ダラス・ペイジ(Diamond Dallas Page、略称DDP)のリングネームで知られるペイジ・フォルケンバーグ(Page Falkinburg、1956年4月5日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー、俳優。ニュージャージー州ポイント・プリーザント出身。
目次 [非表示] 1 来歴 2 決め台詞 3 得意技 4 獲得タイトル 5 入場曲 6 外部リンク 来歴 [編集] 1979年にカナダでデビューしたが、すぐに業界を離れフロリダ州マイアミでナイトクラブを経営していた。1988年、AWAでマネージャーとして再デビューし、バッド・カンパニー(ポール・ダイヤモンド&パット・タナカ=後のオリエント・エクスプレス)やカート・ヘニングらを担当。またこの頃すでに女性マネージャーのダイヤモンド・ドール(正体に関しては、後に妻となるキンバリー・ペイジが最も有名だが、彼女は何代目かのダイヤモンド・ドールで、もともとは複数のAVモデルが交代で務めていた)とコンビを組んでいた。 その後FCW(Championship Wrestling from Florida、WWE関連団体のFlorida Championship Wrestlingとは別物)でのカラーコメンテーターを経て、1990年には短期間ながらWWF(現・WWE)にアナウンサーとして在籍した。なお、同年行われたレッスルマニアVIでリズム&ブルース(ホンキー・トンク・マン&グレッグ・バレンタイン)がピンクのキャデラックに乗って入場した際、その車のオーナーであったことから運転手役を担当している。 1991年、WCWで35歳にして選手として正式にデビュー。タッグ戦線やUS王座戦線など中堅で活躍していたが、WCW副社長エリック・ビショフと親密であった(家が近所だった)こともありトップグループのポジションを得た。1999年4月11日、リック・フレアーを破りWCW世界ヘビー級王座を初獲得。同王座は通算3度獲得、また、バンバン・ビガロらとのコンビでWCW世界タッグ王座も4度獲得し、WCWでは主役級の一人であった。 2001年のWCW崩壊後はWWFと契約。スライド移籍した中堅・若手ばかりの選手たちの中では数少ない元世界王者であり、アライアンス・アングルにおいてはブッカー・Tと共に中心選手として迎えられた。アライアンス解散後はWWFヨーロピアン王座を獲得。2002年3月には横浜アリーナで行われたWWF日本興行にて初来日を果たし、キング・ハクと対戦した。勝利後には客席に飛び込み、大勢の客とセルフ・ハイ・ファイブを決める定番シーンを見せた。 程なくして首を故障し、2002年にWWFを退団して現役を引退。引退後はヨガの教室を開いていたが、2004年 - 2005年にはTNAのリングにも上がり、またその広い人脈を活かしてイベントを企画するなど再び存在感を見せた。ヨガ教室のビジネスはかなり好調らしく、現在は再び表舞台から退いている。 多くの同業者に慕われる人格者として知られ、特にストーン・コールド・スティーブ・オースチンとは親交が深く、近年でもルームシェアをするほどであった。 決め台詞 [編集] Feel the BANG! YO It's me It's me It's D・D・P That's not bad thing,That's a good thing! (それは悪いことじゃない。むしろ良いことだ!) 得意技 [編集] ダイヤモンド・カッター ダイヤモンド・ボム(スパイラルボム) ダイヤモンド・ドリーム(スパイクDDT) ディスカス・クローズライン(その場で回転してのクローズライン) その他 セルフ・ハイ・ファイブ セルフ・ハイ・ファイブ 代名詞ともいうべきハンドサイン。2005年12月にヒップホップMCのジェイ・Zが登録商標の不正使用していると訴えたことでさらに有名となった。なおDDPは1990年代から使用しており、1996年に商標登録していた。裁判は2007年7月にジェイ・ZがDDPに使用料を払うという内容の和解で決着したため、このサインのオリジナルはDDPであると認知されている。 物凄い笑顔 WWF時代のDDPのトレードマークである。一時期ジ・アンダーテイカーの愛妻サラにストーカー行為を働いた際には不気味さを漂わせた。 獲得タイトル [編集] WCW WCW世界ヘビー級王座 : 3回 WCW世界タッグ王座 : 4回(w / ケビン・ナッシュ×2、クリス・キャニオン、バンバン・ビガロ) WCW US王座 : 2回 WCW TV王座 : 1回 WWF WWFタッグ王座 : 1回(w / クリス・キャニオン) WWFヨーロピアン王座 : 1回 入場曲 [編集] Self High-Five ニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」そっくりに作られており(音符の一部を入れ替えただけ)、権利の都合でWWF移籍後は使用されなかった。 |
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木村 響子(きむら きょうこ、1977年3月19日 - )は、日本の女子プロレスラー。神奈川県横浜市出身。血液型AB型。フリーランス。
1997年に結婚し一児をもうけたが、後に離婚。現在はシングルマザーである。 アフロヘアーでバナナを持って「ウホ、ウホ」とゴリラのマネをするパフォーマンスを行なう。 目次 [非表示] 1 所属 2 プロフィール 3 得意技 4 入場テーマ曲 5 リンク 所属 [編集] JWP女子プロレス(2003年 - 2005年) フリーランス(2005年 - ) プロフィール [編集] 1993年にFMWにテスト生として入団するが、1年ほどで退団し、1994年にはメキシコに渡った。 WMFの営業などを経て、2002年にシャーク土屋の紹介でJWP女子プロレスに入門し、2003年7月20日のディファ有明大会における、対渡辺えりか戦でデビュー。NEO女子プロレスや息吹など他団体にも参戦していた。 2005年12月18日をもってJWPを退団し、フリーランスとなった。2006年6月4日には大日本プロレスで初のデスマッチに挑戦した(vs. 尾崎魔弓・アブドーラ小林、パートナーは宮本裕向)。 2008年、江本敦子をパートナーに迎え、ヒールユニット「レボルシオン・アマンドラ」を結成。後に中川ともかがアマンドラに合流。同年12月31日、江本と共にNEO認定タッグ選手権試合で、NEOマシンガンズを破り、タッグタイトル獲得に成功した。 2009年5月2日、新木場1stRINGにて、アマンドラの自主興行を開催。自らも宮本裕向と共に、松永光弘考案の「蛍光灯スクリューデスマッチ(蛍光灯が括り付けられた巨大扇風機を使用)」に挑戦した(vs佐々木貴・竹田誠志)。 2010年5月、体調不良により休養を宣言するが、仮の姿で沖縄プロレスに参戦することを発表。 8月29日のWAVE新宿大会で中川相手に本格復帰。 10月11日のNEO後楽園大会にてヘイリー・ヘイトレッド、チェリーボムと組み、対下田美馬、チェリー、羽沙羅組の6人タッグ出場。ヘイトレッドの友人Xとして紹介されていた。 得意技 [編集] キムラロック ビッグブーツ 入場テーマ曲 [編集] 「BAILA CASANOVA」Paulina Rubio 「BORDER GIRL」収録 (UICU 9002) |
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川田 由美子(かわだ ゆみこ、1977年7月1日 - )は、日本の女子プロレスラー。身長163cm、体重61kg、血液型B型。埼玉県春日部市出身。
経歴・戦歴 [編集] 2003年 12月14日、栃木・小山市文化センター小ホールにおいて、対シャーク土屋戦でデビュー。 近年は「UGPマスク」として活動してきたが、2010年8月23日の「T-1スペシャル~二見祭り~」でマスクを脱いだ。 総合格闘技でも活動した。 得意技 [編集] フライング・ネックブリーカー |
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川﨑あさみ(かわさき あさみ、1984年10月18日 - )は、日本の女優、女子プロレスラー、シンガーソングライター。身長168cm、体重55kg、血液型はB型。大阪府岸和田市出身。
JDスター女子プロレス解散後プラファーに所属していたが、2009年5月17日に退社し現在はフリー。スリーサイズはB86、W62、H93。リングネーム亜沙美(あさみ)としての活動で知られる。女優とプロレスラーの両方を兼ね備えた「アストレス」の4期生。 2007年12月06日、芸名を本名の川崎亜沙美から「川﨑あさみ」に変更した。 2009年12月13日に新宿FACEで開催される『BEGINNING』でレスラー復帰。復帰後は本名を使用する。 目次 [非表示] 1 経歴・戦歴 2 得意技 3 入場テーマ曲 4 主な出演 4.1 テレビ 4.2 映画 4.3 舞台 5 外部リンク 経歴・戦歴 [編集] 2003年 11月24日、神奈川・川崎市体育館において、対賀川照子戦でデビュー。 2006年 3月25日の新木場1st RING大会で引退セレモニーをおこなう。 2009年 9月6日のBEGINNING 新木場1st Ring大会で小林華子相手にエキシビションマッチ(キックボクシングルール)。 12月13日のBEGINNING新宿FACE大会でプロレス復帰。 得意技 [編集] レッグ・ラリアット かかと落とし ダブルリスト 上段蹴り 入場テーマ曲 [編集] 「Baby Hugh Hef」(フィールディーズドリームズ) 主な出演 [編集] テレビ [編集] 「ぶちぬき」(テレビ東京) 「DO缶!」(メ〜テレ) ドスペ2 愛のエプロン(2006年1月、テレビ朝日) キューティーハニー THE LIVE 第5話ゲスト(2007年、テレビ東京) Take Me Out(2009年10月よりレギュラー、TBSテレビ) 『ぷっ』すま(テレビ朝日)- 2010年2月9日「ザ・ギリギリマスター! ギリギリ女芸人」、ダミー役 映画 [編集] ワイルド・フラワーズ(2004年) 岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説 女番哀歌 スケバンエレジィ(2007年) 光る!(2008年) 舞台 [編集] 光る!(2008年) きら星の磁力(2009年) ギザギザのお月様(2009年) |
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